

言語・文学・文化を専門的に学び、多様なテクストの読解・分析を通じて、異文化理解を深め、広い視野と高度な言語運用能力を備えた人材を育成する。
言語学研究室の歴史は明治時代にさかのぼる。 明治19(1886)年に「東京大学」が「帝国大学」と名前を改めて発足したとき、「文科大学」にそれまでの「哲学科」・「和文学科」・「漢文学科」に加えて第四の学科として「博言学科」が加えられたのが、日本における言語学教育の始まりである。 ついで明治33(1900)年、「博言学科」は「言語学科」と名前を改めた。明治時代以来、チュルク・モンゴルなどのアルタイ諸語とアイヌ語や琉球語諸方言、日本語諸方言を含む日本とその周辺の諸言語(中国・韓国・ヴェトナム・台湾原住民語など)を専門とする教授陣が続いたが、他方でインド・ヨーロッパ語比較言語学やアフリカ諸語、そして意味論の専門家も擁していた。 現在のスタッフは、認知言語学や意味論、文法一般を専門とする西村義樹教授、インド・ヨーロッパ語族などの比較言語学と音韻論を専門とする小林正人准教授、言語類型論とオーストロネシア諸語を専門とする長屋尚典准教授、チベット・ビルマ諸語と地理言語学を専門とする白井聡子専任講師だが、学生・大学院生の専攻する分野はこれらに限られず、自由に選ぶことができる(大学院生の研究テーマについては、当研究室のwebページで「大学院生の業績」を参照)。 当研究室で扱う分野は、音韻、音声、統語法、形態論、意味論、比較言語学(印欧語学など歴史言語学)、社会言語学、コーパス研究、手話研究、フィールド言語学、古代言語の解読などである。 これらの、もしくは他のどのような分野を選択するにせよ、学部の間に必修の『言語学概論』、『音声学』、『比較言語学』でしっかりとした基礎を身につけることが必要である。 研究対象となる言語は、日本語・英語・中国語・韓国朝鮮語などの比較的身近な言語から、これらの言語の方言、そしてアジア・アフリカ・南北アメリカ・太平洋地域の、ほとんどその名を聞いたことのないような、そして、今まで誰も研究を試みたことのないような言語、さらにはまた、最後の話し手がごく少数残っているだけで、まさに消滅寸前の状態にあるといえるような言語まで含み、また、古代の言語のようにある程度の資料を残したまま既に消滅してしまった言語も対象となる。 その際に、個別言語の分析でも、あるいは一般的な言語理論を扱う場合にも、一次資料・データに基づいて実証的な議論を展開することが基本である。 データの分析には学生室の Windows, Mac, Linux のコンピュータを使用できるほか、スクリプティングによる分析法の指導を受けることもできる。
現代文芸論研究室は、2007年4月に発足した研究室です。 一国一言語の枠を超えて、欧米の近代を中心にしながらも世界の文学を広い現代的な観点から(日本文学も視野に入れて)研究することを目指していきます。日本文学を世界文学の文脈において研究しようとする外国からの留学生も歓迎します。 教員は、柳原孝敦教授(ラテンアメリカ文学、広域スペイン語圏文化研究)、阿部賢一准教授(中東欧文学、比較文学)、藤井光准教授(現代アメリカ文学・文化、現代英語圏文学)を専任とし、須藤輝彦助教(チェコ、中欧、フランス啓蒙期の文学)も授業・学生指導に参加する他、阿部公彦教授(英米文学、現代日本文学)などの文学部の他研究室のスタッフが授業、研究指導に協力しています。また、専任がカバーしきれない近代語学近代文学の様々な側面を多彩な非常勤講師が担当し、学生の多様な研究上の関心に応えるようなカリキュラム編成をしています。 誤解のないように強調しておけば、「現代文芸論」という専修課程名はもっぱら<現代文学>を扱うということではなく、<現代的な観点からの>文学研究という意味であり、広く近現代文学全般が研究対象となります。 授業カリキュラムに関しては、他専門分野(欧米文学および日本文学)の授業をかなりの程度まで自由に履修できる柔軟な制度(認定科目制度)が大きな特色になっています。現代文芸論の学生は、3言語以上の分野にわたって授業を履修し、世界の文学に関する広い視野を養うことが求められます。 具体的には、以下の分野を積極的に扱います。 ・翻訳論――その理論と実践 ・批評理論 ・世界文学へのアプローチ・欧米の一国一言語に限定されない視点からの文学研究全般 ・越境文学論――亡命文学、クレオール文学、多言語と文学 ・ラテンアメリカ文学、チェコ文学など既存の専修課程の枠に入らない言語文化 ・欧米の言語文化をバックグラウンドとした近現代日本文学研究 現代文芸論は、文学部の伝統ある語学文学研究の堅固な土台を前提としながらも、文学研究の新しいあり方を開拓するために開設された専修課程です。ここで扱おうとしている学問は、また完全に形が固まっていない開かれたものと言ってもいいでしょう。意欲ある学生・院生の皆さんを迎え、ともに従来の枠組みを越えて開かれた可能性を探求していきたいと考えています。また、普段の授業以外にも、世界の作家や研究者を招いての講演会やシンポジウムなどを積極的に行っています。進学生の諸君は、ぜひ、目の前に開ける未踏の沃野に心奪われ、その開拓者となってください。
西洋古典学は、古代ギリシャ語ならびにラテン語でしるされたあらゆる文献資料をあつかう。決して狭義の「文学」に対象を限るわけではない。そこで、今日、こうした文献を対象とする学問ならば他にもあるではないか、それらとは異なる西洋古典学の特色は何であるのか、とあらためて問うとなれば、その精髄は、文献学、別名、本文校訂に求められよう。これはテクストを緻密に読み、かつ他の諸テクストのありようとも比較検討して、いっそう正確な校訂を施す知的な作業である。付言するとギリシャ・ローマの作品の写本は、一部例外はあるものの、もっとも古いものでも紀元後1000年をさほど遡らない。つまりオリジナルと写本の間には、じつに様々な誤写・誤った改訂や、善意による混乱が潜んでいるのである。 「学」としての西洋古典学の始まりは、ヘレニズム期のアレクサンドリアに求められる。そしてうんと端折ったいい方になるが、古典古代の書物に取り組んだ一大ムーブメントがルネサンスであった。ちなみに「人文主義」「人文科学」と訳されていることば(たとえば英語の humanism や humanities)は、神学ではない人間の学を意味し、元来それは古典研究であり、古典のテクストの正しい復元と同義であった。以後、古典学は脈々として今日まで続いている。本研究室ではルネサンス期以降の学者が著した古典研究もまた、研究の対象に含めている。 文学部に西洋古典学専修課程が設けられたのは、1963年の改革に伴ってのことである。ただしいうまでもないが古典語の教育は帝国大学の開始に遡るし、新制大学にあっても発足時から、大学院人文科学系研究科に西洋古典学専門課程が設置されていた。 ギリシャ・ローマは現代文明の淵源である、というはやさしい。もしそれに本気で取り組むのならば、ギリシャ語・ラテン語を正確に知ることが要求される。いかなる言語でもその修得は決してたやすくはないが、ギリシャ語・ラテン語はやはり相当に骨の折れる言語であると思う。しかしこれこそ古典の古典たる所以といえようが、ギリシャ・ローマに記された書物は、ことばに信を置き、精緻な技法を駆使した表現力をもっている。それゆえことばを知れば知るほど、着実に対象に近づいていける。そこで学部・大学院を通じてまず訓練されるべきは、歴史的な枠組みを最大限意識しての読解である。 西洋古典学が対象とする分野の広さに比べ、専任教員が1名と余りに少ないけれども、非常勤講師の協力をえながら、ギリシャ語/ラテン語双方の、韻文/散文作品のそれぞれが、各年度ごとにもれることのないように、講義・演習科目は工夫されている。それとともに2~3年のあいだに、なんとか厖大な古典の全容に対しておおまかな見通しがたつように、プログラムは成り立っている。自分が読みたい本を自分が読みたいやり方で読むのではなく、書物に耳を傾けて、たいまつの火をリレーするがごとく、謙虚に本の命を次世代に託す、このことこそ西洋古典学の真髄かもしれない。
英文科の中身は、英語学、英文学、アメリカ文学にだいたい専攻が分かれている。「食わず嫌い」はしてほしくないものの、学生諸君には三分野のうちいずれか、好みの専攻の勉強におおむね集中できる仕組みとなっている。そしておのおのが選んだ分野にまつわる卒業論文を仕上げること(分量は、英語の場合 7,500 語程度、日本語の場合 20,000 字程度)で、英文科ライフの「あがり」となる。 英語学は様々な分野に分かれるが、どの分野の研究をするにせよ、言語の一般的性質・仕組みについて正確な理解をもつ必要がある。そのため、授業では、英語の詳細な事実と、その理論上の意味合いを総合的に把握する訓練に重点をおく。その際、日本語との比較も可能な限り試みる。 一方、英米文学は、英米に限らない英語圏全般の文学作品(詩、小説、演劇、批評など)を対象とする。作品テクストの精読と解釈を不動の出発点としつつ、その背景にある歴史をさかのぼって当時の社会や文化の動向に考察の対象を広げることもあれば、児童文学・大衆文学などのいわゆるサブ・ジャンル、あるいは文学と美術や音楽との諸関係などへと射程を広げることもある。 卒業生は出版・ジャーナリズムをはじめ多様な職種でそれぞれに活躍しているが、研究を深めるべく大学院修士課程進学をこころざす諸君も少なくない。 大学院も英語学・英文学・米文学の3本柱を有し、各分野において行う作業も基本的には前述の学部のものと変わるところはない。ただし、それぞれの柱の核心深くへと歩みを進めるとともに、その柱の全体像を把握することも求められ、加えてその全体像と具体的に自分が関心をもっている対象との相対的関係を常に意識しておく必要もある。修士(博士前期)課程と博士(博士後期)課程の2段階があり、修士課程を終えるにあたり、卒業論文のおよそ2~3倍程度の規模をもつ修士論文の執筆が求められる(英語のみ)。全課程の締めくくりにあるのは、博士学位取得のための英語論文制作となるのだが、昨今は、大学院在学期間中にイギリス、アメリカなど英語圏の大学院に数年間留学し、その後、この研究室で博士論文を仕上げるものと、留学先の機関でそのまま博士号(PhD)を取得してくるものの2パターンにだいたい分かれるようだ。大学院に進学したもの、特に博士課程まで進学したものの多くは、国内外の大学等の機関で研究職に従事している。
中国語中国文学(中文)研究室の前身は、和漢文学科の創設、すなわち1877年の東京大学設立時まで遡ることができる。しかし、当初、その主たる講義は漢文訓読法であり、中国語による本格的な中文研究・教育の始まりは、20世紀初頭に塩谷温(しおのやおん)が教鞭をふるうまで待たねばならない。 20世紀初頭の中文研究・教育の発展は、変貌する中国、そしてそれに対する日本からの眼差しとともにあった。例えば、塩谷教授が清国留学中の1911年には辛亥革命が起こり、また塩谷の後任教授で、本学の中国語教育の礎を築いた倉石武四郎の学生時代は、文学革命(1917)の真っ只中であった。戦後の中国文学の翻訳・研究界の中心メンバーを輩出した中国文学研究会が設立されたのも、日中関係が大きな政治問題であった1934年である。同会の創設メンバーには作家の武田泰淳や近代中国論の竹内好などがいた。 現在の中文研究室も、国際色が豊かだ。大学院では中国・香港・台湾からの留学生が半数を占め、世界各国の外国人研究員が毎年二、三名は常駐している。そのためか研究室内では日本語のほかに、常時、中国語、英語が公用語のように飛び交う。 こうした雰囲気の中で研究意欲が醸成されるためか、卒業生で大学院に進学するものも多い。学部教育できめ細かい指導がなされているのも、その理由の一つであろう。また大学院には留学生のほか、他学科・他学部・他大学の出身者が多いことも特色といえよう。 研究・教育分野は、古典、現代文学、言語(文字・文法)の三つに大きく分けることができる。扱う範囲はそれぞれ非常に広い。研究室への進学動機も多様であるし、実際、甲骨文字から現代台湾映画まで、教員たちの関心分野も幅が広い。原則は、テクストの背景にある中国語圏文化の特徴を丁寧に調べていくということ。これは、ゼミの雰囲気が、「読む訓練」の学部を経て、「文化的・社会的背景の考察」を要求する大学院、となるように、中文研究室における教育の根幹にもなっている。 「外国語を読む」とは、言語表現の現場を明らかにする行為であり、文章を読むことの奥深さを知る作業でもある。現在の中国や世界各国の文学研究においても、古典文学、近現代文学ともに、各時代、各地域での「読まれ方」をめぐる研究が一つの主流になっている。中国語に触れながら、中国語圏の人々の情念に迫っていくことが、中文研究の大きなテーマであり、魅力なのだ。
インド亜大陸では3千年来数多くの言語が用いられ、それらの言語によって伝えられた文献も多様を極めている。そのうち、本研究室(略称「印文」)では、明治34(1901)年に本学で「梵文学講座」が開設されて以来、古典サンスクリット語を中軸とする古期・中期インド・アーリア語をもって著された文献の研究がなされてきた。さらに、平成8年度より、ドラヴィダ系のタミル語タミル文学の講座も設けられ、これにより、専門的なドラヴィタ系語学文学の研究に携ることが可能となった。サンスクリット語はインドの雅語として古典時代の宗教、文学、哲学、科学などあらゆる分野の文献に用いられたものであり、古典インド文化の精華はサンスクリット語によって伝えられたといっても過言ではない。当研究室がサンスクリット語の学習を必須とするのもこのためである。タミル語も紀元前に遡る文献をそなえ、その文学は長い歴史と豊かな内容を誇るものである。 インド語インド文学研究室では、インド文化の形成と発展にもっとも重要な役割を果たしてきた、これらの言語の初歩を学びながら原典研究を行い、あくまで文献に即して、広くアジア諸地域に伝播してゆくインド文化の精髄を探求することを目指している。したがって、研究室名のいちぶともなるインド文学とは、詩歌・戯曲・説話など狭義の文学作品だけでなく、ヴェーダ聖典、マヌ法典・実利論などの学術論書、仏教・ジャイナ教・ヒンドゥー教などの宗教文献なども含むものである。 語学の習得と原典講読には相当な時間を要するから、一見迂遠な方法に思えるかもしれない。しかし、広く浅く、場当たり的に多くの書物を読むことによって得られるものは少なく、ややもすると、大学という学問の場にいながら、学問するというかけがえのない経験をせずに大学を去ることになる。異文化理解にしろ自文化理解にしろ、一朝一夕でできるものではない。むしろそれらは、辞書を繰りつつ原典に向かい、個々の単語や行間に思いをはせるという、日々の地道な努力によって可能になるのである。 卒業後は大学院へ進学する者が多い。そのため、卒業に際しては、卒業論文の提出よりは、原典講読の基礎訓練となる特別演習をとる学生が多い。
本専修課程の母胎は初代主任木村彰一教授の下に1971年創設された「ロシア語ロシア文学」専修課程で、1994年に「スラヴ語スラヴ文学」専修課程と名を改めた。 創設以来本研究室では、中世から現代までのスラヴ学全般を視野にいれ、ロシアおよびスラヴ各地、また欧米におけるスラヴ研究を広く参照しながら、テクストを正確に読み取る力と、テクストの背後にある文化的文脈を理解する力を涵養することを目指してきた。 本専修課程の特色は、中世から近代・現代に至るまでの約1000年に及ぶロシアおよびスラヴ各地の語学・文学・文化を、幅広く視野に入れている点にある。とくに、スラヴ世界の文学研究と言語研究は、車の両輪のように不可分の関係にあるという信念のもと、「スラヴ学」研究という視点が重要であるという認識に立って、スラヴ地域の文学と言語に関する授業を幅広く開講してきた。伝統的には、専任教員の専門の関係から、ロシア文学およびポーランド文学に力を入れてきたが、その他のスラヴ域の言語・文学についても非常勤講師の出講をもって充実させてきた。過去には、古教会スラヴ語、ウクライナ語、チェコ語、ブルガリア語、クロアチア語、中世ロシア文学、スラヴ民俗学、ロシア思想史、ロシア音楽文化史など、多様なテーマが掲げられてきた。平成25年度よりは、従来のロシア・スラヴ文学とならび、スラヴ語学とくに南スラヴ語圏言語研究を本専修課程の主要な柱の一つとしている。 本研究室は発足以来40年を経て、学部卒業生は120人を超えた。またその数と重複するが、大学院の修士・博士両課程修了者は100名を上回る。卒業・修了者からは出版・報道・貿易・教育ほか様々な分野に有為の人材を数多く輩出しており、その中にはロシア、スラヴおよび欧米の言語・文学・文化の研究・教育の第一線で活躍している者も少なくない。また国際的な研究交流も盛んで、これまでに韓国、中国、台湾、ロシア、ポーランドから留学生や研究員を受け入れ、そこからは博士号、取得者も出ている。また東京大学はワルシャワ大学、モスクワ大学、ロシア国立人文大学、ベオグラード大学などと学術交流協定を結んでおり、さまざまな形での交流が推進されている。 スラヴ学は広く深い可能性を秘めている。ロシアに関しては、18世紀バロック・古典主義文化、いまも世界に冠たる19世紀ロシア文学、ソビエト期を挟む20世紀ロシア等、組み尽くせない多様な研究テーマがある。西欧とロシアにはさまれた「東欧」とよばれる地域には、その複雑で多難な歴史の中から、豊かな言語文化が生み出された。ポーランド文学、チェコ文学、あるいはバルカンの多文化環境から生み出された独自の民族文学、さらには中欧に点在するスラヴ系少数民族の文化などは、それらを生み出した言語のあり方とともに、研究の宝庫であり、二十一世紀の多様な世界を反映して、東欧の文学・言語研究はますます魅力的な様相を呈している。
ドイツ語ドイツ文学研究室における研究教育が目標とするところは、主として、中世より現代にいたるドイツ語による文学作品を対象に、さまざまなテクストを緻密に読み解いていく作業を通じて、そこに表出されている文化的、思想的な意味を考察することである。その領域は、たかだか近世になってようやく成立したドイツ国家の文学、ひいてはドイツ人の文学にかぎられるものではない。たとえばドイツ系ユダヤ人の文学的営為が、いわゆる「ドイツ文学」のなかに占める位置は、無視できないものがある。民族的な文化現象のもつ収斂的な志向性を顧慮しつつも、ややもすればそこから排除される要素にも、目配りを怠ってはならない。テクストの細部に集中するミクロの視線には、同時に歴史的、空間的なマクロの視野が要求されるのである。そうした理念に沿って、中世高地ドイツ語による文学ならびにルターとその時代の思想、近代批評・文学、中・東欧のドイツ語文学、第二次大戦後の旧東独のそれをも含めた文学などに関する研究が、それぞれの方法はさまざまながら、多彩に遂行されている。 四人の専任教員の専門分野は、カリキュラムにおいて広範な領域をカバーできるよう配置されている。地域的にはドイツにかぎらず、オーストリア(そこには、現在は東欧に属する地域も含まれる)も包含し、また時代は中世から第二次大戦後にまでおよび、ジャンルとしては小説、戯曲、詩、評論など、きわめて多彩である。 このように書けば、いかにも堅苦しいアカデミズムの場を想像されるかもしれないが、かつて在籍した教員のなかに、生野幸吉、柴田翔、池内紀など、詩人、作家、文人の名が見受けられるように、この研究室には、繊細で自由な言語的感性を重んじる気風が伝えられている。そもそもドイツ語というと、それだけで何やら堅い印象を受ける向きもあろうが、それは偏見というものである。グリム童話も、エンデの小説も、ドイツ語で書かれている。ドイツ歌曲の詩も、『ファウスト』も、ホーフマンスタールの流麗な散文も、ドイツ語が紡ぎだしたものである。ドイツ語も例外ではないが、どの言語も、その言語独自のメロディーとリズムを、美しさと緻密さを、柔らかさと硬度をもっている。その意味で、まずはテクストのなかから、ドイツ語が語りかけてくる声を聴きとることが、教員と学生の別を問わず、そして、研究と学習の別を問わず、前提として要求される。そうした認識を共有するかぎりにおいて、学生が自由に、個性的であろうとして、かつそれが許されることが、研究室の特色、雰囲気を形づくっているといえよう。
南欧語南欧文学研究室は、文学部のなかでその歴史が比較的新しい研究室の1つである。イタリア政府の要請を受け、前身であるイタリア語イタリア文学研究室が文学部に設置されたのは昭和54(1979)年。初代研究室主任には、当時仏文学研究室の教員であり、イタリア文学の研究にも携わっていた西本晃二助教授が着任した。その後、イタリア語イタリア文学研究室は教育・研究対象の拡充に伴って、平成6(1994)年、南欧語南欧文学研究室となり、今日に至っている。ここでいう「南欧語」とは、ラテン語から分化・発達したロマンス諸語のうち、イタリアから南仏・イベリア半島にかけて成立した諸言語を指し、イタリア語のほか、南仏のオック語、スペイン語、ポルトガル語などを含む。設立の経緯から、現在まで研究室の教育・研究の中心はイタリア語イタリア文学だが、ロマンス諸語全体に関わる講義や中世オック語文学、あるいはスペイン語スペイン文学などの授業も随時開講されている。 イタリア語イタリア文学の研究は、当然のことながらイタリア語の性格抜きには語れない。イタリア語の標準文語は、ダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョという13世紀から14世紀にかけてトスカーナ地方が生んだ「三大作家」の用いた言葉遣いに基づいて確立し、その基本的性格は現在まで変わっていない。現代イタリア語をきちんと習得しさえすれば、14世紀から現代に至る、文学作品を含むイタリア語テクストを読み解くことは、さほど困難ではない。これは、イタリア語イタリア文学のもつ特色であり、その研究に取り組むうえでの利点となっている。イタリア文学はその先進性によって、ヨーロッパの他地域の文学に大きな影響を与えてきたにもかかわらず、わが国における研究の歴史は残念ながら浅い。これは明治以来、日本で行われた西欧文化の受容の仕方に偏りがあったことと関連している。現在でも、わが国でイタリア語イタリア文学を専門的に学べる学科・研究室をもっている大学は数少ない。 本研究室では2名の日本人専任教員、1名の外国人教師、および数名の非常勤講師が授業を担当し、なによりもまずイタリア語で書かれたテクストを正確に読解する訓練を行っているが、作文や会話の面でも学生が現代イタリア語の運用能力をしっかり身に付けることができるよう意を用いている。学生は各自の興味に従って卒業論文のテーマを選ぶことになるが、20世紀の作家を取り上げる者が比較的多い。学部卒業生は年平均数人で、1、2名が大学院へ進学する。学部卒業後の進路はさまざまであるが、大学院を修了したのち、イタリア文化の紹介や翻訳業で活躍する者や、イタリアの大学で日本語を教える職に就く者もいる。
「フランス語フランス文学」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか。スタンダール、バルザック、フローベール、プルーストといった小説家たちの名前でしょうか。ボードレール、ランボー、マラルメといった19世紀の偉大な詩人たちの名前でしょうか。サロート、シモン、デュラスなど現代の作家たちの名前や、『三銃士』、『海底二万マイル』、『星の王子様』など日本の子供たちにも親しまれている作品のタイトルかもしれません。もっと時代を遡って、16世紀のラブレーとモンテーニュの時代から、思想家(デカルト、パスカル)・劇作家(コルネイユ、モリエール、ラシーヌ)を輩出した17世紀を経て、モンテスキュー、ルソー、ディドロらが続々と現れた18世紀までの西欧文化史上の有名人たちを思い浮かべる方もいるでしょう。あるいは、実存主義から構造主義・ポスト構造主義へと連なる20世紀の哲学者・思想家たちのことを考えてもかまいません。 フランス語フランス文学研究室(以下「仏文」)では、こうしたフランス語で書かれたさまざまな作品をとりあげます。つまり、「フランス語フランス文学」が対象とするのは、詩・小説・戯曲・批評といった狭い意味の「文学」のみならず、現在では哲学・歴史・文学・社会科学といったさまざまな学問領域に分かれた「フランス語のテクスト」一般です。実際、ルネッサンス期以来、フランス語の書き手たちは、さまざまな領域で、それぞれの領域の創設や革新に携わってきました。エッセーという形式で自分自身について語ることを始めたモンテーニュや、俗語で哲学書を著した先駆者デカルト、現代的な意味での「世界史」の創始者の一人ヴォルテール、さらには言語学・人類学・精神分析・フェミニズムの領域でソシュール、レヴィ=ストロース、ラカン、ボーヴォワールたちが果たした知的変革など、その例は枚挙にいとまがありません。ひるがえって、シュルレアリスムやヌーヴォーロマンのような集団的な文学運動のかたちこそとらないものの、フランス語圏では現在もなお、詩・小説・戯曲といった諸ジャンルで、またそうした既成のジャンルの枠外で、多様な文学作品がさかんに生み出されています。 仏文ではこれまで、なによりも学生個々人の自発的な関心を尊重し、フランス文学研究・フランス思想研究などの分野で優れた研究者を輩出してきただけでなく、「フランス語のテクスト」に触発されながら、日本の芸術・文化の諸分野で活躍する数多くの作家・芸術家・批評家を生み出してきました。この研究室の良き伝統は現在も引き継がれており、学部生のあいだはまず、特定の作家や作品の研究に視野を限定せず、翻訳を介してでも「フランス語のテクスト」の広がりについて知見を深め、自分自身の関心を発見することが推奨されています。
日本語で書かれた「文献」を考究していくのが国文学研究の基本姿勢であり、その対象は、万葉集や源氏物語などの古典、あるいは近・現代文学といったいわゆる「文学」にとどまらない。歌謡・能・歌舞伎や近・現代演劇、宗教・思想の言説など、幅広い表現の分野にまで広がっている。そして、その中で大切にされるのが、「本物の文献を見る」という作業である。自ら文献を直接読みこむことこそ、自分の眼で見、自分の頭で考えた、借り物でない思考へとつながってゆくからだ。国文学研究室は、文化財クラスの貴重な写本・版本、和本を数多く所蔵しており、「本物」の文献を研究するのに恵まれた環境にある。 国文学研究室には、上代・中古・中世・近世・近現代の五つの時代別にそれぞれ担当の教員がいるが、複数の時代にわたる授業もある。学部で必修となっている卒業論文については、テーマ設定を学生自身の自由な選択に委ね、教員は助言しつつ、各自の自主的な研究を見守るというのが、学部教育の特色だ。大学院生(毎年約3割の学部学生が進学)に対しては、本格的な研究方法を指導するようになる。研究室所属の院生・学部学生、あるいは卒業生たちが参加する研究会などの議論を通じて、学んでいくところも多い。大学院に所属する留学生は増加の一途をたどっており、彼らは帰国後、それぞれの国の日本文学研究の枢要の位置を占める存在となっている。今後ますます、世界への視野を広げることが求められている。
国語研究室は、今から120年前の明治30年(1897年)に上田万年(かずとし)によって東京大学(当時の帝国大学文科大学)に設立されました。国語”学”研究室ではなく国語研究室という名称であるのは、開設当初は大学内の一研究室という立場に留まらず国家の研究機関という性格を帯びていたことを反映したものであり、現在もその名称を変わらず用いています。 研究対象は「日本語」全般であって、言語の各側面からは音声音韻・文字表記・語彙・文法・文体等、時代的には奈良時代以前から現代まで、地理的には共通語のみならず諸方言まで、日本語のあらゆる側面が研究対象です。 当研究室が開講する授業は、国語学(日本語学)の入門的概説から、より専門的な分野の講義、少人数での討論形式の演習、研究室の所蔵する貴重な古典籍(奈良・平安・鎌倉時代の写本多数を含む)を用いての演習などに及び、これらに主体的に取り組むことによって、日本語を科学的に取り扱うための幅広い知識と経験とを得ることができます。 学部生はこうした授業によって3・4年次で国語学の基礎的なノウハウを修得し、各自の興味関心に則ってテーマを選択して卒業論文を執筆することができます。また大学院生も、各々の問題意識に基き定めたテーマについて、研究室の蔵する豊富な文献を用いながら日々研究を行っています。 なお現在の専任教員は、肥爪周二教授が漢字音韻学・悉曇学を主軸とする音韻史を、小西いずみ准教授が日本語の方言を、林淳子准教授が日本語の文法を、それぞれ専門としており、特にこれらの分野に関心のある学生にとっては又とない学びの場が提供されます。また専任教員の専門から外れる分野についても、学外の専門研究者を非常勤講師として適宜招聘することで、学生の幅広いニーズに応えるべく努めています。 研究組織としては、国文学研究室と共に「東京大学国語国文学会」を運営し、学会誌『国語と国文学』を刊行しています。国語研究室独自の活動としては、2005年以降『日本語学論集』を毎年刊行しています。(研究室公式HPより)
母数が小さく、年による。