

人間の思想、歴史、言語、社会に対する真の理解をめざして教育と研究を実践することにより、高度な教養と思考力、表現力を身につけ、人類文化の発展に寄与する人材を養成することを目的とする。
「哲学(Philosophy)」という、ギリシアに由来するこの語のそもそもの意味は、よく知られているように、「愛智」つまり「智を愛すること」である。それは、何か別のことのために、つまり、何かの役に立つから「智を愛する」のではない。そうではなくそれは、純粋に「智を愛する」、ただ徹底的に考え抜きたいが故に、ただ徹底的に知りたいが故に、ただそのことの故にのみ、「智を愛する」ことである。 もっともこう言えば、単に「哲学」のみならず、時にその対極と捉えられる「科学」もまたそうではないか、と言われよう。「科学」――とりわけ基礎科学――もまた、同様の「愛智」の営みではないか、と。たしかに、そうでもあろう。実際、哲学は時に「科学の先駆け」とも見なされる。けれども両者の間には、やはりある本質的な相違が存している。というのも、科学において問題は、徹底して一般性・客観性だからである。ここにおいては、個別性もしくは主観性は徹底して排除される。科学的知識に「私」を持ち込むことは、厳禁である。だからこそそれは、万人が共有できる道具としての「知識」でありうる。しかし、かのソクラテスは、こうした「知識」には全く無関心であった。「私」自身の投影しない知――単なる一般的客観的な知――は、根本的には知(智)の名に値しない。本当の意味での智とは、自ら(「私」自身)の智であり、「私」がその智を自ら生きるのでなければならない。「愛智」の「智」とは、そうした智であり、「愛智」つまり哲学の営みとは、そうした智を徹底して考え抜き、徹底的に知ろうとする――言うならば、徹底して智を生きようとする――営みである。 だからこそまた、カントはこう言った。「哲学は学ぶことができない。学びうるのはただ哲学することだけである」、と。「私」自身の智は、「私」自身において考え抜かれなければならない。人から教えてもらうことはできない。ただ、どう考え抜いたらいいのか(哲学の仕方)を、私たちは偉大な哲学者達(古典)との対話を通して学びうるのである。 「哲学」の営為は、とりわけ西洋において二千数百年にわたって連綿と続けられてきた。この先哲の営みが、我々の哲学的営為を支えてくれる。それは、私たちの営為の空転を阻み、私たちが荒唐無稽な一人よがりに陥ることを回避させてくれる。 むろん、こうして哲学を「生きる」ことは、いろいろな意味でなかなか難しい。しかし、こうした哲学の意味を知ることは、どのような進路に進むにしても、この上なく大事なことである。テクストをとおしてまさに先哲との対話を行う演習や、自らが徹底的に遂行した思索の証としての卒業論文の作成は、間違いなく人生の大きな糧となろう。 哲学研究室は、こうした哲学研究・教育の場である。哲学研究室はまた同時に、今日的な問題へも真摯に取り組もうとしている。生命倫理、環境倫理、情報倫理などをめぐって、科学が根本的・根源的な問いへ眼差しを向けるとき、その眼差しの先にあるものは、やはり哲学である。いま、哲学に対する期待・関心は大いに高まっている。こうした期待・関心に応えるべく、人文社会系研究科における他分野交流演習の応用倫理に関するプロジェクト、「死生学・応用倫理教育プログラム」等に積極的に参与している。こうして時代に応じ、時代に真摯に向き合うこともまた、哲学研究の本分である。
行為の善悪や人間関係の理法について探求し、さらには現代社会の緊急の問題群の原理について考える、そういった様々な倫理学の課題に、本研究室は、古典的テクストの読解と思想史研究を踏まえてアプローチするところに、特色がある。第二次世界大戦前後、長く研究室の主任を務めた和辻哲郎は、西洋思想と東洋思想の融合および規範学としての倫理学と事実の学としての諸学の統合を目指し、独自の倫理学の体系を築き上げるとともに、広く人文科学一般の諸分野でも成果を挙げた。この多様な学問領野に開かれているという性格は、本研究室出身の研究者に脈々と受け継がれている。金子武蔵のドイツ観念論研究や相良亨の日本思想研究と並んで、湯浅泰雄の東西の諸学の統合が、そうした伝統を受け継ぐ。 倫理をめぐる人類の思索の膨大な蓄積に分け入った対話を踏まえる限り、学生の研究対象の選択も各人の自由に任されており、実際、これまでの卒業生の研究テーマも、洋の東西を問わず、また古代から現代に至るまで、多彩である。3名の専任教員(古田徹也准教授、板東洋介准教授、中野裕考准教授)と数名程度の非常勤講師による本研究室の講義・演習の対象領域は、西洋の倫理思想と日本のそれとに二大別される。倫理学がいち早く自覚的な形態をとった西洋の思想伝統を学ぶことは、日本倫理思想史を専攻しようとする学生にとっても欠かすことはできないが、他方、西洋の倫理学に関心を持つ者にとっても、自らが背負う日本の伝統との対話は必須となる。相異なる領域への幅広い目配りが求められるのも、本研究室の特色である。 このように、倫理学研究室は、一方では古典的学問研究を尊重しつつも、他方では、西洋哲学、日本思想、さらには社会科学、宗教学等の諸学問に開かれた幅広い内容を持つ研究教育を目指している点で、思想文化学科/基礎文化研究のなかでも特徴を示していると言えるだろう。そのような条件をどう生かすかは、学生諸君の自発的研究に期待されている。なお、本研究室を卒業した後、大学院への進学を希望する者は少なくないが、近年では民間企業等に就職する者も多く、就職先は、広告・出版・マスコミ、金融、メーカー、官公庁等、多様である。
イスラム教は西暦7世紀に生まれた比較的若い宗教であるが、古代オリエント、ギリシア・ヘレニズム、インド・イランなどの文化を吸収・発展させて独自の輝かしい文明を生み出し、ユダヤ・キリスト教世界、インド亜大陸や東南アジアなどの周辺諸地域に大きな影響を与えてきた。西洋中世哲学や近代科学の発展は、イスラム世界の哲学や科学の影響を無視しては語れない。 イスラム世界の文化は、こうした歴史的意義をもつだけではない。その神秘思想体系は深い精神性を持った人類共通の知的財産として、混迷する現代社会の中で再評価されている。また、西アジアやソ連崩壊後の中央アジアなどにみられるイスラム復興を求める動きは、民族問題とも絡んで複雑な様相を呈しており、イスラム教についての正確な理解に対する社会的ニーズは急速に高まっている。 本専修課程は、このような時代の要請に応えて、イスラム教の思想や文化そのものを、主として文献によって歴史的・実証的に研究し、教育活動を行う組織として、1982年、わが国で初めて開設されたものである。 一口にイスラム学とはいえ、その研究対象は広く、イスラム教以前の古詩から、中世イスラム世界の教育制度、現代のいわゆるイスラム原理主義までその対象に含まれる。このため、思想研究とはいえ、その方法も多岐にわたっている。古典的な思想史的文献学的研究はもとより、哲学、宗教学の立場からイスラムを取り上げることも可能である。また法史学や比較法学の立場からイスラム法を研究することも可能である。ただし、どのような研究をするにしても、文献を自ら読む作業を避けていては実証的・批判的な研究態度は身に付かない。そのため本学科においては、必須ではないものの、アラビア語をはじめとする現地語を習得することが望ましい。 学科の性格としては、イスラム文化全般を扱うため、解放性が高いことが挙げられる。学生は、本学科を拠点として、東洋史、哲学、宗教学など、他学科の授業にも積極的に参加し、そこで学んだことを自分の研究に活かす。また逆に、他学科からの授業参加者も多い。この意味において、本学科は、イスラム文化をできるだけ広く学ぶための「場」を提供しているといえるであろう。 留学する学生も多く、その留学先は欧米とイスラム地域で半々くらいの割合である。また、外国からの留学生・客員教授も多い。これも本学科の解放性の高さを表しているといえよう。 全世界のイスラム教徒人口は現在18億人でなおも増加の一途を辿る。既に欧米ではイスラム文化との接触は日常の一部になっており、21世紀はまさに「イスラムの世紀」と言える。日本においても、イスラム研究の重要性が更に増していくのは明らかであり、今後は、日本のイスラム研究を国際的な場でアピールしていくことが目指される。
本学文学部に美学講座が設立されたのは明治26(1893)年のことであり、以来100年以上にわたり、当研究室は日本の美学研究の世界をリードする役割を果たしてきたが、それだけでなく、日本の芸術文化に与えた影響にもまた大きいものがある。研究者や批評家は言うに及ばず、古くは、ビデオ・アートの父として世界的に知られたナム・ジュン・パイクから、映画監督の中島貞夫、脚本家の倉本聡、さらに近年では作家の小林恭二、映画監督の井坂聡といった若手にいたるまで、様々な人材を世に送り出してきた。 美学は、本来は美や芸術に関わる原理的探求を行う哲学的学問であるが、学問の性質からして、芸術諸ジャンルの具体的なあり方と切り離された抽象的な議論に終始するわけにはいかない。とりわけ近年においては、美や芸術といった概念そのものが、歴史的・社会的に形成され、変容しているものであり、それ自体のうちに西洋近代のイデオロギーを色濃く刻み込んでいるものであるというような見方が出てくるようになり、その成立をめぐる政治的・社会的な状況や、芸術の「現場」におけるその機能の仕方といった問題を具体的なレベルでフォローしてゆくことが強く求められるようになってきている。当研究室では、1971年に美学講座を「美学藝術学」に改組することによって、諸ジャンルの個別的研究にかかわる諸芸術学を包含する形での展開をはかるなど、そういう方向への拡大的な展開をはかってきた。最近の卒業論文のタイトルをみても、ゴジラ映画、『ゲゲゲの鬼太郎』、刺青の歴史等々、狭義の美学の枠に収まりきれない、多様な領域にわたる研究が展開されていることがわかる。 しかし他方で、当研究室の特徴が、そのような「何でもあり」的な個別研究の寄せ集めの世界とはかなり違うところにあることもまた確かである。単に個別的なジャンル史の研究や地域文化の研究であることをこえて、それらの現象を(狭義の「美」や「芸術」には還元できないにせよ)美や芸術に関わる文化という大きな枠組みの中においてみてみることによって、個別研究だけからではなかなかみえてこないような問題系が開かれてくる。音楽や文芸や、はたまた漫画や自然美にいたるまで、これだけ専門の異なる人間が集まっていながら、コミュニケーションが成立し、むしろ畑違いの人間同士でディスカッションをすることで視野の広がりが得られるという関係が成り立つのも、当研究室ならではのことである。また、当研究室の教育においては、伝統的に、とりわけ「古典」とされるような文献の厳密な読解が重視されてきた。ともすると表層的なことがらだけをみて物事を考えてしまいがちな今の状況の中で、あえてこのような世界に身をおいてみることによって、自分自身が知らぬうちに囚われていた固定観念から自由になることができたり、表層的な問題の奥底にあるものがみえてきて、かえって斬新な視点が得られるという体験をすることも少なくない。文化が多様化し、不透明になっている時代である今こそ、原理に立ちかえって物事を考えようとする学問が求められているとも言えるのではないだろうか。
本研究室の前身は「支那哲学」という名称であった。その後、国内の他大学にあいついで同名の講座が設けられるが、日本や中国に伝わる旧来の方法論を踏襲するだけではなく、中国古来の思想的営為を西洋伝来の「哲学」という学術によって分析・理解しようとする立場をとる点に、本学の特色があった。第二次世界大戦後に「中国哲学」、1994年からは「中国思想文化学」と改称し、現在にいたっている。1995年以降、大学院では「東アジア思想文化学専門分野」となった。 本研究室の学問的特徴は、上でも述べたように、中国の学術・思想を体系的・歴史的に整理して理解しようとするところにあり、その伝統は今でも継承されている。当初はいわゆる諸子百家の思潮と朱子学・陽明学とに関心が偏っていたが、しだいに他の時代や思想を研究対象として意識するようになり、現在では狭義の哲学的営為のみにとどまらず、宗教・科学・政治思想・教育思想など幅広い分野にわたって研究・教育が行われている。また、中国と関連する範囲で日本・韓国の思想も扱われている。 本研究室の卒業生は累計してもその数は決して多くないが、学界・教育界をはじめとする各界で活躍している。学部学生は大学院に進学するほか、学校・官庁・企業に就職する者も少なくない。また、他大学を卒業してから本研究室の大学院課程に入学してくる者も多い。全体に占める留学生の割合が高いことも特筆される。 授業形態は他の研究室と同様、一般的に当該分野の基礎知識・研究動向を伝達する概論概説講義、非常勤講師を含めて教員が各自の最新の専門的知見を披歴する特殊講義、学生に研究方法を指導する演習とからなる。大学院の場合は授業のほとんどが演習形式で行われる。演習では文献読解のためのさまざまな技法が具体的な材料を扱いながら指導される。近代・現代の資料を除き、本研究室に関する資料は古典中国語で書かれており、それらを当時の語法や句法に忠実に一字一句もゆるがせにすることなく読み解いていくことが求められる。しかも、対象とする資料の時代や性質に応じて語法・句法は千差万別であり、学生は自分の問題関心・研究テーマに即して必要なものを修得していかなければならない。なお、ここで言う資料とは、後世に書物の形で伝承されたいわゆる伝世文献のほかに、近年の考古学的成果により発見された出土資料を含む。 現在、専任教員は3名。それぞれ中国の思想文化の多様性を反映して、専攻する時代や分野がそれぞれ異なっている。さらに、大学院では総合文化研究科・東洋文化研究所・社会科学研究所所属の専任教員にも授業を担当してもらい、日本を含む東アジア全域にわたる教育指導ができるような体制となっている。
明治38年(1905年)、東京帝国大学文科大学に宗教学の講座が開設されたのが当研究室の始まりである。初代の教授は、文人としても知られた姉崎正治(嘲風)であった。 宗教学という学問は比較的新しく、欧米の大学に宗教学の講座が置かれはじめたのは十九世紀末のことである。それ以前は、欧米で宗教の学問的研究といえばほぼキリスト教神学に限られていた。これを行う神学部から独立して、キリスト教だけでなく、仏教やイスラム教といった大宗教はもちろん、いわゆる民間信仰や「未開」社会の宗教まで、古代エジプトの宗教から現代の新宗教まで、特定の宗教伝統や地域に限定することなく、あらゆる宗教現象を研究対象とする学問として宗教学は成立した。そうした新興学問のための講座が、日本で二十世紀の初頭に生まれたのは、世界的に見ても稀な早さであった。 宗教学は、このようにあらゆる宗教現象を研究する学問だが、研究方法もさまざまである。古い経典の精密な読解も、現代社会の宗教状況調査も宗教学でありうる。対象を理論化する視点も、哲学、思想史、社会学、心理学、人類学、民俗学、文献学、図像学、等々、どれであってもよい。したがって当研究室では、各自の関心におうじた自由な研究が許容されており、学生に特定の研究対象を指定するようなことはほとんどない。他学科の講義にも積極的に出席することが奨励される。(ただ、自分が信ずる特定の宗教だけを真理として、これを宣伝することを意図した研究は、当研究室の学風にはそぐわない。) こう書くと、宗教学研究室は、みながばらばらな研究を個別に行っているように見えるかもしれないが、実態は正反対である。教員、院生、学生間の交流は親密であるし、何よりもみなが、宗教という多面的で奥深い対象をめぐる関心を強く共有している。古代メソポタミアの楔形文字資料から当時の宗教事情を読み解こうとしている大学院生が、現代世界のインターネット空間に出現している新世代の宗教性を取り出そうとする学生の研究発表を、真剣な興味をもって受け止め、適切に応答する(そしてその逆も)、といった知的状況が生み出されていること、これが宗教学研究室のよき伝統である。特定の専門領域を深めながら、そこに自閉しないで宗教をめぐる柔軟で広い問題関心を保ち続けること、そしてそれが専門領域の研究に豊かに反映していくこと、これが当研究室の追究する理想である。 こうした学風であるから、国内での研鑽にとどまらずに海外に留学して調査や研究を行う大学院生は数多いし、日本の宗教の研究のために本研究室に留学してくる外国人も少なくない。宗教への関心を共有する、内外を問わず多彩な傾向の研究者や学生が互いに刺激を与え合っていることは、本研究室の魅力の一つだろう。もちろん、専門の研究者になることだけが本研究室に学ぶことの意義ではない。学部を卒業し、あるいは修士課程を修了して社会に出て行く場合にも、本研究室で身につけた、「宗教」を通じて広く深く「人間」を見るまなざしは、陰に陽に大きな糧となることだろう。(そうあることを願っている。)
本学におけるインド哲学仏教学研究(通称「印哲」)は、明治12(1879)年に原担山が和漢文学科の講師として仏書講義を開講したのに遡る。その後、西洋のサンスクリット語(梵語)研究や、英独に留学した研究者などの影響を受け、研究領域は、古典中国語を通じた仏教研究から、サンスクリット語やパーリ語原典を用いた研究、さらには仏教以外のインド哲学をも包含するまでに発展する。本学における印度哲学講座の創設は大正6(1917)年。 研究者としては、漢訳仏典の底本として国際的に名高い『大正新脩大蔵経』の編集に携わった高楠順次郎のほか、わが国のインド哲学仏教学研究の基礎を確立した宇井伯寿、精緻なインド哲学仏教を基礎に、広く比較思想にまで研究領域を拡げた中村元などの文化勲章受章者も輩出した。 現在のインド哲学仏教学研究室は、インド哲学、ならびに、インド仏教・チベット仏教・中国仏教・日本仏教などの仏教学を主要な研究領域としている。これらの諸領域は哲学・倫理学、歴史学、宗教学、中国哲学などの分野とも関わり、研究は自ずと学際的要素を含むことになる。本研究室は、先達の学風を継承し、一次資料である古典文献の解読を研究の基本に据えており、そのため学部教育においては、サンスクリット語、パーリ語、チベット語、中国語など、専門領域に応じた語学の習得が求められている。また、卒論に替え、サンスクリット語などの古典を原書で講読する特別演習を履修する者が多い。過半数は大学院に進学し、学部と大学院との連続性を重んじた教育を行っているのが特徴だ。 韓国、中国などのアジア諸国からの留学生が大学院学生のおよそ5分の1を占め、研究室は国際的雰囲気に包まれている。仏教の起源や思想、インド哲学諸派との論争を通した相互の思想展開、日本文化のルーツとしての仏教への関心、さらには宗教的な求道心など、学生たちの研究契機や関心事は多様だが、原典の綿密な読解を通じてテキスト内容を深く味わう基本姿勢を大切にしている。長い伝統に培われた宗教的、仏教的なものに触れる機会に溢れ、また難解なインド哲学文献や仏典などが自力で読めるようになる喜び・手ごたえは何ものにもかえがたく、この学問を進めていく上での大きな魅力になっている。
母数が小さく、年による。